かんがえがある京都の大学生

身を削って書きます。音楽、旅行、アウトドア、大学生、、

別れを惜しむということ。

こんにちは、たる坊です。別れの季節ですね。

この春、ぼくは大学を卒業します。大学院生になります。タイトルは京都の大学生のままにしときます。笑

 

今日は、卒業するにあたって考えたことをつづりたいと思います。特に大学1,2回生に読んでもらえたら嬉しいです。

 

卒業する側なので当たり前と思われるかもしれないですけど、大学4回生にして別れが辛いなと思います。

ここ3年くらいはサークルの先輩とかが卒業してもそれほど別れが辛いと思いませんでした。

なんでか全然分からなかった。

小中高の卒業式はさみしくてたまらなかったのに。

 

じゃあ、今年はなんでさみしいんだろう、今までと何が違ったんだろうって考えた時に生活の中心が研究室になった事が1番の違いだなと思いました。ぼくは理系学部の4回生なので、研究室に配属されました。研究室っていうのは、講義受けて、レポート出して、みたいないわゆる大学生活とは全然違う環境です。

 

それまでの3年間、最低限の授業とかには出席していましたが、学校以外のコミュニティにばかり軸を置いていた僕にとってはものすごい環境の変化でした。

ぼくがなぜ、学校以外のコミュニティにばかり所属していたのか。それは学校の人達と合わないと思ったからです。入学当初の授業の雰囲気とか一緒に授業受けてる人としゃべった感じとかから。

まあ、それは間違ってなかったなと思います。確かに合ってなかった。

そうして、ぼくは自分とぴったり合う人ばかりと仲良くするようになっていきました。

 

でも、研究室に配属されて、そこで出会うのは学校の人達です。嫌な人は全然いないんですけど、話しててすごく合うなーっていう人はいませんでした。そういうのを求めて研究室を選ぶわけではないので当然だと思います。

 

そこで1年間過ごして、3月になって、大学院生の先輩が卒業する事になって、4年間で1番寂しいなって思ってる自分がいます、そこまで仲良かったわけじゃないのに。不思議でした。

 

単純に一緒にいた時間が長かったっていうのはあるかもしれません。

一緒に研究を頑張ってきたからっていうのもあるかもしれません。

でも、自分の中で考えた結果、よっぽどのことがない限りもう会わない人達だからだなと思いました。

自分とぴったり合う人ではないからこそ、卒業してしまったらプライベートで会うことはなかなかないでしょう。本当にお別れなのです。

 

小学校、中学校、高校も同じなのかもしれません。クラスにはいろんな人がいます。その中にはもう会わないであろう人もいっぱいいます。だから卒業するのがさみしくてたまらなかったんだなと気づきました。

いつでも連絡がとれるこの時代において、別れを惜しむというのはこういうことなのかもしれないと思いました。

 

ぼくは大学に入学してからというもの、プライベートでも会うような人としか関係を深めてきませんでした。そういう人達とは、卒業と言ってもお別れではなかったのです、普通に会えるから。だから、今まで先輩が卒業しても寂しくなかったんだなと気づきました。

 

大学というのは特殊な環境で、自分の好きな人達、自分と価値観が合う人達とだけ付き合うことが可能です。それはきっと楽しいことでしょう。

大学生活では、自分と合わないなと思った人と出会ったとしても、その人と関わらずに生きていくことができてしまいます。自分が関わりを持たなかった人とはお別れしても何とも思いません。それはどうなんでしょう。せっかく出会ったのに。

 

ぼくは、もったいないことだなと思います。もったいないことをしてしまったなと思っています。

 

嫌な人と関わる必要はないと思います。無理はしちゃだめです。でも、自分と考え方が違う人、面白いと思うものが違う人とも仲良くなる機会があっただろうし、もっともっと関われば良かったなと思っています。

 

以前のぼくのように、面白くないからしゃべらない、関わらなくてもいいやって思ってしまっている人がいたらそれは違うかもよ?っていう、大学卒業を間近に控えた個人の意見でした。

 


森山直太朗 - さくら(独唱)